コンプレックスは今でも持ってるが、
子供の頃よりは飼い慣らしている。
それは決してなくなってる訳ではなく、
後悔という面も含めて言えば、
益々大きくなっているのが現状だ。
それでも子供の頃よりは泣かなくなっている。
本気で笑うことも難しくなったが、
それは世界の終わりのように泣くことと
引き換えにしたのだろう。
どちらがいいか?
今も子供のように泣き、笑う人もいる。
そんな人を困った人だ、と見る目には
常にうらやむ気持ちも潜んでいる。
羨望は未知の領域にあるからではなく、
自ら捨て去った原石に含まれていたからだ。
その代わり自分は
コンプレックスの牙を収める術を得た。
どちらがいいか?
どちらにもなり得る状況であっても
必ずどちらかにしかなり得ない。
考えることを止めないこと。
変化を否定しないこと。
そしてどちらにでもなり得る。